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2016年6月5日日曜日

煙草に関する所感



君が好きなんじゃない、依存してるだけさ(挨拶)

ご無沙汰しております。
もう死んだも同然のこのブログを読んでいる人間はいないとは思いますが、
私もこのブログに対してとってもお久しぶりなので、そう書かせてください


さて、久しぶりに筆を取りたくなったのは、表題の件についてです
つまり、煙草に関していろいろ思うことがあったので、徒然とした所感を書きます
明日からまた始まる仕事からの逃避ついでに書きます





煙草について、私は長年、嫌悪感を抱き続けてきました
父親は喫煙者ですが、父以外の家族は皆その臭いが嫌いで、
私も洗濯ものに臭いが付くのが嫌で、彼に文句を言いまくってました

思えば中学生の頃から、通学中の電車内では喫煙者のマナーに対する風刺が
吊り革広告に大量に掲示されており、世論的にも嫌煙ムードが漂っていたように思います
そんなこんなで生まれて四半世紀ほどの間、私はタバコが嫌いだったし、
わざわざ金を払って吸う意味が分からなかったのです



やがて私も社会人になり、社畜人生を歩み始めるわけですが、
配属された職場では(というより業界全体として)多くの人間が煙草を吸っていたのです
自社、客先、どこへ行ってもタバコ、たばこ、煙草、tabaco…
出社するたびに、否応なしに受動喫煙を強いられ、それがかなりのストレスでした
とはいえ、生活費を稼ぐためには仕方がない。
我慢に我慢を重ねてその環境下で働き続けました

入社1年を過ぎ、そろそろヤニの臭いにも慣れ始めた頃、
業務においてより多くの事を任されるようになり、
今度は仕事によるストレスが日々大きくなっていきました
溜まりゆくストレスをうまく処理できず、悶々と過ごす毎日
飯を食いまくって激太りしたし、気晴らしに散財し、貯金を減らす月もありました
それでも、掃いても積もる埃のように蓄積する疲れ、虚無感…



事ここに至り、ついに私はニコチンによるドーパミン分泌に頼ってしまったのです
きっかけはほんの些細な事、コンビニのレジでたまたま目についたからです
昔、ネットで知り合って実際に会った人が吸っていたタバコが印象に残っていたのでしょう
気付けばその銘柄が買い物袋に入っていました

自室に着いて箱を開けると、独特で猛烈な臭い…
この臭いは部屋に残したらアカンと思い、すぐ外に脱出
それに耐えながら口に咥え、昔読んだ「エアギア」の知識通り、息を吸い込みながら点火。
タバコの臭いにちゃんと息を吸えてないのか、火が全然つかない
思い切って深呼吸してようやく着火するも、モヤモヤした気体に喉を焼かれ咳込む
ほんの少しの期待もむなしく、その味は何一つ褒めるところがないものでした

すぐ捨てようと思いましたが、持ち前の貧乏性がゴミ箱に向かう足を止め、
とりあえずおいておこう、と箱を部屋の隅に放り投げ、その日は寝ました



しばらくして、気が向いたのでもう一度チャレンジしても、やっぱり不味い
ただ、煙草を吸うという行為は、私の悪癖である「ため息」ととても相性が良く、
喫煙中は思う存分、煙と一緒にため息をつくことが出来た
これは思いのほか、気分転換になりました

そうして一箱分の煙草を吸いきる頃、今更ながら何となく健康が気になり、
同じ銘柄のニコチンが少ないものを購入しました

嫌なことがあったら、外に出て煙と肺に溜まったストレスを吐き出す
「息抜き」とはよく言ったものだなぁ、なんてことを思いながら、
軽い煙草に変えたこともあって、消費スピードはどんどん上がっていきました


気まぐれに元の種類の煙草に変えて、そんな悪習慣を続けること数週間
上司のストレスが一定量を超えると発生する「気晴らし」という名の強制飲み会の帰り、
付き合わされた鬱憤を晴らそうといつものベランダへ
酔って気が大きくなったのか、いつもより強く煙草の煙を吸い込むと、
あれだけ不味かった煙の中に、登山中に味わうような草の風味を感じて、
有体に言えば「おいしいかもしれない」と思ったのです


しかし、そんな煙草の味を感じるようになって、「息抜き」にさらに拍車がかかった頃、
今までにないくらい、仕事中イライラすることが多くなったのです。
最初は、繁忙期に入って仕事量が増えたからだろうと思っていたのですが、
ある時、ストレスを感じるたびに煙草のことが脳裏をかすめることを自覚し、
「あ、これがニコチン中毒か」と思い当たりました



大学3年生の夏、公務員試験の受験勉強中だと親に言い訳しながら部屋に引きこもってエロゲーをしていた頃、
このままじゃヤバい、と自分のパソコン中毒を克服する方法を探して「二重洗脳」という本を読みました
確か有名な企業医の方が、禁煙を望むサラリーマン達に相談を受ける中で発見した、中毒のメカニズムとその対処法を書いた本だったと記憶しています

曰く、ニコチンによるドーパミン分泌によって、喫煙がストレスを無くすと体が勘違いする
→強すぎるドーパミン分泌に、受容体が壊れて鈍感になる
→より多くのニコチンを要するようになる
→喫煙量が増える
→禁煙すると、通常のドーパミン分泌じゃ日常のストレスに堪えられなくなる
→やっぱり吸っちゃう
さらに、ニコチンの中毒性と合わせて禁煙が難しくなる…おぼろげですがそんな内容だったかと


当時これを読んで、喫煙者は煙草に洗脳されているのか…と強い恐怖を覚えたのを思い出したのです

そこで今、私は煙草を我慢して、大好きなお菓子を食べながらストレスと戦ってます
体重は増える一方ですが、これが煙草に手を出した代償だと割り切って、仕方なく、満足して大量の糖分を摂取してます
あと、私の場合は「ため息をつく」という癖との結びつきによる行動依存が問題だと感じたので、
ニコチン・タールを含まない電子タバコ「Vape」にも手を出しています
いろんなフレーバーを楽しめて、ちょっとおもしろいんですが、
これはこれで健康に良いわけはないと思うので、飽きたらやめます



ここまで来て、煙草をただただ毛嫌いしていた過去の事を思い出して、
このことを書き残そうと思い立ちました

自分にとって、やっぱり煙草は色々な意味で吸わない方がいいものだけども、
煙草がなくならない理由を身をもって理解したし、喫煙者の感覚もちょっとわかるようになったと思います

仕事をしてるとどうしてもストレスって溜まるし、
みんながみんな、ストレスに上手く対処できるわけではない
単純に喫煙って気分転換になるし、自覚無自覚に関わらずニコチンに頼りたくもなるのです
私は職場では吸わなかったのですが、
社会においては、いまだに「タバコミュニケーション」のようなものがあるのも事実で、
時として喫煙が武器になることがあるわけです
それを理由に吸っている人もいるのでしょう(経験的に、いつか目的が手段に逆転する人も多いだろうが)

完全に肯定するわけじゃないけどね
喫煙がかっこいいかと言われれば、似合う人には似合うとしか言えないし
金はかかるし健康にもアレだしね
なんとなく、観点が広がったかなー、ということで。
もう自分からは吸わんぞ。ニコチンに俺の脳はやらん。

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