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2014年2月2日日曜日

映画「ゼログラビティ」感想


Do you copy?(挨拶)

はい、毎度毎度の久しぶりの更新は公開中の映画、「ゼログラビティ」の感想です。
言わずもがな、ネタバレ注意です



リアルで付き合いのある先輩に「劇場で3Dで見ないと意味がないんだよ!」と強く勧められたので、
夏に「風立ちぬ」を見て以来の劇場鑑賞してきました。もちろん一人で。

俺の地元の映画館では、3D映画の鑑賞料金が基本料金+400円なので、俺の現在の身分だと合計1900円かかります。
あれ?映画ってこんな高級な娯楽だったっけ?
もっとこう、お札1枚でポポポポーンと時間が潰せる遊びだった覚えがあるのだが…時の流れは残酷ですよね…。

流石に俺の貧民的金銭感覚だと1900円は高いので、毎月1日は廉価で見れるファーストデイ制度を利用して券を購入(1400円)。
並ぶのが嫌で前もってネット予約したのですが、行く前にサイトを見ると「完売」の文字が。
やはり、安く済むなら狙っていきますよね。俺が卑しいわけじゃなくてよかった。
それに、おひとり様が割と多かったのも安心。なぜならおひとり様はマナーが良いことが多いから。
決して非リア的捻くれマインドから安堵したわけではない。少しは思ったけど。




久しぶりの映画館鑑賞でちょっと脱線しましたが、そろそろ内容に触れましょうか。

あらすじは以下の通り。
 医療技師のライアン・ストーン博士が初めてのスペースミッションに参加。ライアンは指揮を務めるマット・コワルスキーとシャリフと共に、宇宙空間での船外活動を行うことに。
 ヒューストンの管制から、膨大な量の宇宙ゴミが高速で接近しているため、船内に避難するよう緊急連絡が来る。ロシアが自国の衛星を破壊したところ、他の衛星も連鎖的に破壊され、宇宙ゴミとして拡散してしまったという。スペースシャトルが宇宙ゴミと衝突し、ライアンとマットの2人は宇宙空間に投げ出される。
 シャリフの死体を回収したはいいものの、スペースシャトルは大破。2人はシャトルをあきらめ、国際宇宙ステーション(ISS)へ向かう。
(一部wiki引用)

wikiには全編が載ってたけど、こちらは自重して短縮しました。

もうなんというか、いろいろ筆舌に尽くしがたいのですが、何とか思ったことを書きたい。
まとめてしまえば宇宙空間からの脱出劇ですが、この映画の見所は「徹底された宇宙空間の表現」です。


まず映像。漂いながらごつい宇宙服を着こみ、シャトルの外壁で作業するライアン達。その背後には、真っ暗な宇宙空間に大きな青い穴を開けるようにたたずむ我らが母なる地球。
もうこの序盤の映像から目を釘付けにされるわけです。

ここから、大量のデブリが飛んできてシャトルが壊滅。剥がれ行く外装、飛び散る破片、振り回されるアームと人間たち、もう大迫力です。この始まりを見ただけで、「ああ、3Dで見て本当に良かった」と思いました。目の前に飛んでくる破片を感じずには、彼らに感情移入しにくいでしょう。



そして。宇宙空間には空気がないため、音が伝わらない、伝わりにくいというのは常識ですが、それをとてもリアルに再現しています。

例えば、ライアンがシャトルの外壁でボルトを外している音が宇宙服を伝って聞こえているようなボヤケタ感じで聞こえたり、人や破片が吹き飛んでるのに最低限の音しか聞こえず、静かなのに大変なことが起きている、という場面が多々あったり。

特に後者のような場面は、その静寂が恐怖感を猛烈に煽ってきます。ヤバいマジ宇宙怖い。
序盤で頭を破片に貫かれたシェリフの死体が出てくるんですが、そんな強烈な現象が無音で起きるわけですからね…もうチキンスキンが止まりませんでした。



印象的なシーンも多かったですねぇ。

一番ズシッっときたのは、ライアンが酸素切れで朦朧とした意識の中、やっとの思いで脱出用ソユーズに入って酸素で中が満ちた瞬間、宇宙服を脱いで丸まったシーンです。

宇宙服のコードがちょうどへその緒みたいに見えて、まさに胎児が母親の中で守られてるような…「人間は空気に包まれてようやく生きてられるんだ」ってメッセージをアッパーのように食らいました。

「環境の前には人間は無力だ」と言っているようにも見える。生き物はいろいろな条件がそろって生存していて、その最たるものが「環境」である。それが激変すると、生命なんて容易に崩れる。だから、今ある「適度な環境」を守ることが生命にとって一番重要なことだ、と。昨今の地球環境問題への示唆というか、そんなようなことも感じましたね。どちらにせよ、人間の万能感を否定するメッセージです。


あとは、ソユーズが燃料切れで発信しないのに絶望して、死を覚悟して酸素供給を断って目をつぶると、死んだはずのコワルスキーがライアンを鼓舞するシーン。

全ての機能を停止したソユーズを指して、「ここは居心地がいいし/誰も君を傷つけない/(けど、)生きる意味もない」、その後「旅を楽しめ」ってコワルスキーが言ってたのを猛烈に覚えてる。
究極の孤独に耐えられなかったからか、無意識に生存本能が働いたのか…こういう状況になると、人って幻覚を見るんですかね?孤独を求めても最終的には他者の存在の意義を知るってのは、最近見た「Into The Wild」って映画でもフォーカスされてました。これの感想も書きたいんだけど、なんつーか言葉に仕切れないので保留してます。

確かに安易に死を選ぶのは楽で、引きこもると誰とも接触せずに済んで楽だけど、自分だけで完結している世界に意味ってないんですよね。「生きる意味は外部にある」って最近何かで読んだな。「バカの壁」だったかな。エロゲでも「Cross Channel」とかでテーマにされてますよね。


そして最後のシーン。
宇宙空間にいると筋力が著しく低下し、そのまま地上に降りると歩けなくなることもあるから宇宙飛行士はシャトルの中でも筋トレを欠かさないってのは有名ですが、見事に地を這ってましたね。まぁあわや溺死ってところから浮上したのだから、ああなって当然ですが。
水辺に上がり、土を掴んで笑ってたのが印象的でした。帰ってきた!って喜びと安堵がものすごく伝わる演技で震えたなぁ。そして四つん這いからの二足歩行。自分は人間なんだってことを徐々に思い出すかのようなアクション。最後まで名演技でした。



まぁ長々と感想を書きましたが、映画として1級品だったと思います。
ぜひ劇場の音響と映像で「宇宙の怖さ」を体感してみてほしい。

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